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2013.01.10

フォーディズム考察ノート

 資本主義がもっともダイナミックに発展した時期、その内燃機関としてのフォーディズム。フォーディズムこそが資本主義の永久機関とうたわれた時期は、実はあっという間に過ぎてしまったのではないか。
 資本蓄積運動の要とも思われたフォーディズムが、いとも簡単にその担い手である資本によってうち捨てられたのは何故か。
 利潤率の傾向的低下の法則、収穫逓減の法則、要するに市場が飽和したということだろう。身も蓋もない単純な結論だが(^^;)。

 チリの反革命政権に取り入ったシカゴボーイズ達によって始められた新自由主義の実験は、サッチャー、レーガンを経て世界中を席巻し始める。
 フォーディズムによる資本蓄積運動の限界をフォーディズムそのものを破壊することで突破しようとする。しかしそれは国内の需要の担い手を自ら押しつぶすことだったはず。 大量生産大量消費型フォーディズムを破壊した後に資本蓄積運動の担い手になったのは、IT産業と金融資本。確かにIT産業は一時的にそれなりの雇用を産み出したが、フォーディズムによって生み出された膨大な中間所得層を包摂することはできなかった。そもそもコストとしての労働力の削減にこそ最大の威力を発揮したIT技術は、ますますその需要の担い手達をなぎ倒してしまったのだから、収穫逓減の法則のサイクルもよりそのスピードを上げてしまったはず。

 国内の市場が飽和していることがはっきりした時点で収穫逓減の法則の回避をグローバリズム市場へ求める。その先兵が金融資本。というかそれ以外にはなかった。物は売れないのだから。フォーディズムを破壊した時点で購買力をなぎ倒してしまったのだから。
 先兵としての金融資本はすぐに本体となり、もはや金融資本こそがフォーディズムに代わって資本蓄積運動の主要部隊として踊り出ることになる。しかしもちろんそれは国内の膨大な中間所得層を包摂することはできない。それどころかさらに中間所得層を没落させる。ただしバブルによって一時的に救済するが、それはクレジットというまさに仮の救済でしかなかった。
 金融資本がカジノ資本主義を謳歌したのは先のIT技術の発展に因るところ大であるが、所詮はカジノ。そのバブルがはじけたときの衝撃は、天文学的にふくれあがったカジノへの掛け金の額に応じて資本主義の屋台骨をも揺るがす恐慌を引き起こす。いや大恐慌を引き起こすはずであった。
 かろうじてそれを救ったのは、中国。

 中国は一時期、いや今も現在進行形だが、原始的蓄積とフォーディズムと新自由主義とが段階を経ることなく一国内で同時進行しているような状況。中共官僚にいわせると中国独自の社会主義発展期とも。
 資本主義が300年かけて辿った道筋をわずか半世紀足らずという猛スピードで駆け抜けている状態。
 初期の沿岸部の開発独裁はやがてフォーディズムに転化し膨大な中間所得層がグローバリズムの消費市場を提供するようにまでになっている。そのモデルは明らかに日本のそれだが、日本が早々とフォーディズムの限界にぶち当たったときにそれに替わるものとして、さらに度肝を抜くような大規模なフォーディズムの勃興を目の当たりにしている。
 中西部、さらには辺境にまで、まだまだニューフロンティアが控えている。

 中国の資本主義が世界資本主義の救世主として全面に躍り出る。昨日までは、いや今日、明日までか。沿岸部のフォーディズムはすでにきしみ始めている。膨大な世界の物質的富を消費するにはその日本の人口をすでに大きく上回る中間所得層をもってしてもまだ足りない。沿岸部はすでに新自由主義的バブルを大きく育て始めている。
 新自由主義的バブルはまだフォーディズムが十分に熟し切っていない中西部及び辺境の地にまでフォーディズムに先行して浸食し始めているだろう。
 せっかくフォーディズムによって産まれた膨大な中間所得層をまずは沿岸部で消耗させ中西部・辺境の地では中間所得層を育むことなく沿岸部のバブルのはけ口として刹那的な搾取の暴虐が吹き荒れる。
 まるで中国一国で資本主義300年のサイクルを、ハリウッド的大活劇映画の中に見せられているかのごとき様相。わずか2時間弱で。

 とすれば、フォーディズムとは、資本主義のわずかなうたかたの夢でしかなかったということだ。
 資本主義の限界をかつてはフォーディズムが救った。そのフォーディズムが先進資本主義諸国で早々とその活力を消費し尽くし、その後のグローバリズムバブルの破綻を中国のフォーディズムが一時的に救っている状況だが、これも先が見えてきた。

 インド?確かに膨大な市場が控えているように見えるが、おそらくはインド独自の構造がフォーディズムの発展を阻害しているのではないか。
 インドがいわゆるキャッチアップしだしたのはIT産業から。しかしこれは中間層を産み出さない。フォーディズムの語源の由来となった文字通り自動車産業の勃興はどうか。例えばインド民族資本の「タタ・モーターズ」。ここは韓国大宇のトラック部門の買収から始まりイタリアのフィアット、フォードからはジャガーとランドローバーをも傘下に収める。インド自動車販売市場でのタタ・モーターズのシェアは09年時点で20%。ただし、先行するIT産業の華々しさに比べインドではまだモータリゼーションは始まっていない。タタ・モーターズ一社だけでインド市場を担いうる中間所得層を産み出せる訳もなく、しかも未だ車市場シェアの一位はスズキが担っている。スズキは現地に工場を持っているが、フォーディズムの規模からするとインド全体を潤すにはほど遠い。

 民主主義。おそらくインドのフォーディズムの起ち上がりを阻害している主要な要因ははこれではないかと思っている。
 形式的な議会制民主主義はそれが開発独裁型政権を生み出した日本のような地ではフォーディズムを機能させるのかも知れないが、インドの民主主義はかつてのイギリス植民地政策の分断統治によっていびつな構造を内に抱えているのではないか。カーストと宗教と膨大な不在地主層の存在。会議派は社会主義的な政策をとり60年代の緑の革命などは有名だが、詳細は知らないが土地改革は未だ途上ではないのか。農村部のかなり広範囲にわたって毛派の勢力が浸透していることを見ても逆にそれが裏付けられないか。
 いずれにせよ社会主義的政策を指向したかつての会議派は中国のように資本主義を「鳥かごの中で飼う」といった開発独裁型政策は採らなかった。その後政権を取った宗教原理主義色の濃い政権によって市場の活性化が図られたといっても、中国のような大規模なフォーディズムを産み出すには至っていない。中間層が育つ前に新自由主義的政策を取ることほど悲惨な結果を招くことはないだろう。ショック・ドクトリンの餌食である。
 そしてインドの民主主義はまた会議派に政権を譲った。政権が代わりうる、比較的民主主義が機能しているということだ。それは逆説的に中国のような強権的で安定した開発独裁型政策を取ることを困難にさせている。安定したフォーディズムを育てる前に政権が手っ取り早くその成果を競うにはグローバリゼーションに寄り添った新自由主義的政策を取らざるを得なくなる。それがまた農村部を疲弊させ毛派共産党の伸張を促す。インドの民主主義がフォーディズムの勃興を阻害させる。インドに中国に匹敵するような市場は産まれない。

 アメリカに匹敵する市場の創出の可能性は中国以外にはない。その中国もその市場を担いうる中間所得層の疲弊がもう始まっている。

 フォーディズムは大量の中間所得層を産み出したが、それはまた彼ら(正確にはその子供たちか)による反乱も引き起こした。中国もまたかつての68年が始まるのではないかと期待したが、それは今始まっているのか、それとも60年代末反乱の敗北をもまた同時に経験している最中なのか。

 フォーディズムがかつて資本主義を延命させた。おそらく新自由主義の破滅的な政策の反動から再度フォーディズムへと回帰する志向が産まれることはないか。スティングリッツなどのケインズ学派などはそれと重ならないか。
 または社民主義的な左派からも階級闘争の再興によって結果的にフォーディズムの夢をもう一度とはからずも企図してはいないか。
 また元祖新自由主義者の小沢一郎が宗旨替えしてリベラル左派を装っているが、階級闘争なきフォーディズムの夢はさらに非現実的な妄想でしかない。
 フォーディズムと階級闘争は相携えていたのだ。それが膨大な中間所得層を産み出したに違いない。階級闘争を潰そうとする意図が先だったかフォーディズムの限界そのものを突破しようとしたのが先か、資本の意図は同時進行的にそのどちらをも成し遂げた果てに、資本主義そのものの内燃機関をも自ら潰してしまったのだ。

 フォーディズムはうたかたの夢だ。もう二度とそれが戻ってくることはない。
 忘れよう忘れよう、さっさとそんなものがあったことさえ忘れてしまえ!

 ネグリ&ハートのマルチチュードの愛を主体とした革命に賭けるには、まだもうちょっと飛躍が足りないような気もするけれど(^^;)。

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