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2008.07.29

ポニョ

 だいたい、ぽーにょぽーにょって聞いただけで涙ぐんでしまう。悲しい歌じゃないのに(^^ゞ。

 夏休みに入った中学生を朝6時にたたき起こして、近所の同級生も引き連れて、総勢6人で公開初日朝一番に劇場へ。開演2時間近く前に行っても座れるかどうか不安だったのだけど、意外と空いてた。並んでいた親子連れの半分はポケモンが目当てだったらしい(^_^;)。

 千尋の時は、親子連れで超満員、立ち見も出るような混雑した劇場は人いきれでむんむんわさわさとしていて、本編が始まってもあちこちから子ども達のざわめきや「愛だよアイ」なんて大声で復唱する声が聞こえたりしてた。まるで日本映画全盛期時代の劇場にタイムスリップしたような、至福の時間を過ごせた思い出がある。今回もそれを期待したのだけど、ちょっと寂しかったかな。今度の作品はじわじわと観客動員数を伸ばしていくタイプなのだろうか・・・。

 で、中身はどうだったのって、それは、ポニョが走る、ポニョが笑う、ポニョが寝る、と、それで充分(^_^;)。ストーリーなんてみんな観る前から知ってるでしょ(^_^;)。

 宮崎駿は今回はこれまでと違って絵のタッチを変えたといっていました。崖の上の家の絵を見た瞬間、港町の海辺の町並みをカメラがパンする瞬間、それが意味するすごさに圧倒されるでしょう。
 CGを一切使わなかった、などという今時とてつもない贅沢が許されるのは、ジブリならではでしょう。
 宮崎吾朗氏は「クラゲの一匹一匹まで手書きなんて」と驚いていらっしゃましたが、クラゲどころか、それこそポニョウニョ出てくるポニョの妹(?)達やら蟹達やら魚達からフナムシまで・・・。気が遠くなってしまう。おかげでアニメーター達はこの2年間「蟹工船」状態だったんじゃないか\(^^:;)...。

 ディズニーではなく、宮崎駿作品を見て育つこの国の子ども達は幸せだと思っていました。
 ただ、時代はますます息苦しくなっていくばかりで、宮崎氏の魔法は果たして有効なのかとその限界を危惧する論調もあるのかも知れません。私自身戸惑ってしまうことがままあります。
 かつて「くそヒューマニズム」と批判されて苦しんでいた手塚治虫氏も、時代との格闘に燃焼し尽くされたという感想を持っています。氏の場合は週刊誌やら月刊誌やらの連載に追われ肉体的にもボロボロになっていかれたのに比べ、宮崎氏の場合は、より長いスパンでじっくりと時代に向き合う時間が取ることができるという、ただ、それが幸か不幸かを判断するのはあまり意味がないのかもしれません。

 時間があると言うことはそれだけ時代に向き合う苦しみも長く深く、またこれまでの作品が時代の変化と共にどう対象化されるのかをも、自らに突きつけられるのですから。

 新自由主義の席巻によって、まるで19世紀に逆戻りしたかのような資本主義のバーバリズムが子ども達にも容赦なく襲いかかっています。宮崎アニメで育った世代が、なすすべもなく底なしの絶望の淵に沈んでいく今このときに、ポニョは、ただ救いの物語だからと手放しで受け入れてもらえる状況なのかしら、と。

 あるテレビのインタビューで宮崎氏自身が語っていたこと、「グローバリズムだ新自由主義だって、その解決方法を大人達が考えたってどうせろくな答えは出ないんだから。」5才ぐらいの子どもの方がよほど世界を理解してるんだよ、みたいないい方でした。
 変わりませんな(^_^;)。これまでの作品の一つ一つは物語も時代背景もどれも共通性はないのだけど、実は、氏自身が深く時代に絶望していて、にもかかわらず絶望してる場合じゃないだろうと半ばやけになって自らの作品と格闘しているという姿が、変わらない共通したトーンとして各作品を貫いているように思えます。私の個人的な思い入れなのかもしれませんが。

 絶望している場合じゃないだろう。こんな時代になっても、こんな時代だからこそ、例えなんと批判されようと、ポニョは大津波のてっぺんを脇目もふらずに一心不乱に走り続けるのです。

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2008.07.09

トヨタが生んだ絶望の「テロリスト」

 前回の記事が秋葉原のことだったので、絡みでやっぱり載っけとこうと思って。
 伝送便本体7月号の巻頭用に書いた文章です。すでにもうあちこちで散々論じられた後ですが。

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  ジャストインタイム生産システムとは言うまでもなくトヨタが開発した生産システム。我が郵政もJPSとしてそれを取り入れようと必死になっているのは周知の通り。
  「必要な物を、必要な時に、必要な量だけ生産する」というが、その為には各生産工程の部品在庫を常に最少に抑えることが最大の目標とされる。
  必要な部品を必要なときに必要な量だけ調達する。これを「労働力」という「部品」に置き換えたら、今社会問題化している格差と貧困の構造の一端をはっきりと説明することができるだろう。

  人材派遣会社とは、まさにこの労働力のジャストインタイム化要求に応える会社に他ならないだろう。その派遣先が車製造工場に多いということも、皮肉にもそれをはっきりと象徴している。

  絶望の「テロリスト」が休日の人でごった返す首都電脳街を襲った。実はその場所は伝送便事務所から100メートルも離れていない、見慣れた風景のその場所である。
  事務所に集う仲間の多くはその場所を横目で見ながら通うことになるだろう。労働相談のために事務所に訪れた郵政期間雇用社員もその場所を通ったろう。犠牲者の無念さを悼み、またテロリストの無念さをも幾ばくかでもいま見ることがあったろうか。

  市場社会においては、生身の人間の「労働力」さえ容赦なく商品として取引され、その労働力市場が常に労働力商品単価相場を引き下げようとする。その圧力に抗するために先達は100年かけて闘ってきた。その為の最良の武器として労働組合も手に入れた、はずではなかったのか。

  人材派遣事業とは、ヤクザの口利きによる賃金ピンハネとどこが違うのか。
  本来非合法化され文字通り裏社会のヤクザ稼業だったものを堂々と合法化してしまうような社会ならば、逆に非合法手段に訴えてもそれに抵抗しようとする絶望者が今後も絶えることはないだろう。

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 今日の通勤時も、現場を通ってきた。近くでメイドさん達がビラ配りをする、いつもの秋葉原の光景。
 あの日以来周辺のお店の売り上げが減ったというが、売り上げが戻っても、記憶からはなかなか消えないのだろうな。
 いつか語られるのだろうか、秋葉原が秋葉原でなくなった日はそういえばあの日が境だったかも知れないと。

 そういう日が来ないことを祈るばかりだ。 

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